小学生の頃、父親につれていってもらった三井は、まだグリーンランドの側にあった。

ゴルフ場の合間を抜けて丘の上までいくと、ジムカーナ場とダートラ場が併設されてた。

ジムカーナ場には、AE86だけで30台くらい列があったような?どれも同じような車なので、どれが親父のAE86だかよくわかんなかった。

この時代は、すぐにエントリーしないと、あっさり埋まってしまうって言ってた。モータースポーツが最も盛んだった頃。

R32のGT-Rが登場した頃で、プリンスかどっかが、新車のR32を持ってきてた。

それまで見てたナンバーのついてない改造車よりも、圧倒的にパワーがあるノーマルのR32にスゲーって小学生ながらに思ったのを今もよく覚えている。

時は流れて大人になった。僕は、高校生の頃からバイクに夢中だったから、車の免許をとっても、軽自動車のバンに乗っていた。親父の期待とは裏腹に、僕はミニバイクレースに出場していた。

親父は、もうさすがに走らなくなっていたが、家の車は、この頃もジムカーナに出ていたカルタスだった。

免許をとったころは、このカルタスをこっそりと夜の●峠で乗り回していた。最後は、親父が会社の帰りにデフが壊れてたいって、お前のせーだと怒られた。

後で知ったけど、このカルタスはデフがロックしてあった。壊れたのは俺のせいなのか?(笑)

それから、会社の人がS13をあげるからってんで、貰って乗っていた時もあったんだけど、半年ですぐに飽きた。ドリフトはいまいちつまんない。

やっぱり、競技じゃないと、つまんないって。

そして、本屋でプレイドライブを読んだ。幼い頃の記憶がよみがえったので、三井へ行ってみることに。

子供の頃とは、違う場所に三井は移っていた。全日本ダートトライアルを見にいったんだけど、A2で走る石井淳選手や、A4の北村選手を見て、すぐに虜になってしまった。

翌月には、貯金を下ろして30万円のCA4Aを横浜へ買いに行ってた。

23歳だったか?こうしてダートラにデビューするんだけども、デビューは若宮だった。

この車は、2戦目でひっくり返して、あっさり廃車。三井を走ることはなかった。

この年は、ライセンスも取ることなく、三井に行くことはなかったんだけども、翌年、ライセンスを取って、ついに念願の三井へ!

ところが、エントリーはしたものの、はじめての三井を楽しみにしている中、インフルエンザでお休みしてしまった。

親父が俺の車で、俺よりも先に三井を走るという屈辱(笑)

翌月、懲りずにエントリーした三井だったが、当時の私は金融業でかなりハードな仕事をこなしていた。

なんと、寝坊。

念願の三井じゃーーー!と高速を湾岸ミッドナイトで走らせたら、朝の6時に久留米のオービスを光らせた(笑)

三井に着いて、しばらくしたら噂になってた・・・。さくさくのCAが全開で久留米のオービス光らせたって。(笑)どうやら誰かに見られたらしい…。

ついに願い叶って三井を走ることができたけれど、数日すると、警察から呼び出し状もやってきた…。

三井を走るためだけに、10万円近い出費になってしまった(笑)

これが、もう12年近く前の話。つい、昨日のように面白おかしく話したような気がする。

あれから、2度ほどダートラをお休みする期間もあった。結婚もしたし、転職もした。

気がつけば、小さい頃に三井に連れていってもらってた自分と同じ歳の子供までいる。

もうじき私は36歳になる。もう、競技には戻らないかもしれないと昨年までは思っていた。

でも、三井の閉鎖を知った瞬間に、この気持ちが再燃した。

三井をもう走れないのか?

あわてるように、私は今年もどってきた。残り少ない三井は全て走ろう。

年が明けてから、あっという間に時間が過ぎてしまった。

さあ、本当に最後の三井の地区戦。

思いっきり踏んで走ろう。